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佐野坂東33番馬頭観音御開帳(東明庵)

2014年05月08日
4月19日、20日に佐野坂東の東明庵の馬頭観音が12年に一度の御開帳をした。
佐野坂東はこのブログを更新するきっかけにもなっている板所なので久しぶりに楽しい気分になった。

東明庵は私の町内の観音堂でもあり親父が馬頭観音御開帳の役員(というか町内会のイベント)でもあったので、写真を撮りに行ってきた。

また東明庵は小学校の登校のときの集合場所だったり、子ども会の集まり場所でもあったし、子供のときの遊び場でもあった。
馬頭観音も御開帳でないときもお堂の中をを子供のときに掃除させられて何度か見ていた。蜂にさされたり、毛虫でかせたりとこのお堂でくつろいだ子供時代の記憶がよみがえってくる。ある意味私にとってはパワースポットでもある。




いつもはひっそりとしているが、この日は暖簾が出てて少しは活気があった。



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佐野坂東18番御開帳の看板が建てられてあった。手作りの看板で風情がある。



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「救世山」の看板は以前からあった歴史を感じるものである。おそらく雲谷禅師のときからあったものかも知れない。詳しく調べないとわからないけど。


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この貼紙は、元学校の先生だった80歳を越える近所のおばあさんが書いたと聞いた。
立派な字だ。


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ゼンリンやグーグルなどの地図にはここのお堂の名前を「馬頭観音寺」と記されている。
おそらく調査しているときにこの看板を見てそう記したのだと感じる。


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御開帳が執り行われていた。白い布が馬頭観音と繋がっている。

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奉納した一覧。父親の名前も載っている。町内会の人が皆奉納した。信仰心の厚さを感じる。
また他の佐野坂東のお寺の名前も書いてあった。それだけ昔から佐野坂東の繋がりは強い。
と思いきやも、事前に父や他の町内会の人が佐野坂東のお寺に御開帳の予告をしに行ったので、自然と寄付が集まるものである。


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このお堂の屋根の裏側には夏になるとアシナガバチが巣を作り、それを竹の棒でつっついてよく遊んだものである。
2回刺された。

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近所の人たちがたくさん集まっている。正直静かな御開帳。しかしそれでいい。

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12年前は東京の人で馬頭観音が好きな人が、全国の馬頭観音を巡っていてそれでやってきた話を聞いたことがある。
この日は20日の午後であったが、残念ながら遠くから参拝に来た人をみかけなかった。


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白い布が馬頭観音の威厳を醸しだしているかのようであった。
久しぶりに馬頭観音を拝んだ。


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子供の頃に見た馬頭観音はもっと怖いイメージでもっと大きなイメージ、閻魔大王のようなイメージがあったが、久しぶりに見たら以外に小さかった。
馬が置いてあって馬頭観音だなと誰でも分かりそうな感じがした。

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この馬頭観音を拝んだのは小学5年か6年のときだから、かれこれ30年弱ぶりの再会であった。
三波伸介に似ている。

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じっくり見ていたら、観音様に威厳をだんだん感じてきた。
ついでにお堂の中にいた人に自分の名前を行ったら、思い出してくれたがやっぱり忘れられていて観光で来た人と間違われてしまった。町内会にちゃんと参加してないからしかたがないけど。

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昔はこのお堂の隣にやぐらを建ててカラオケ大会をやっていてこのお堂が休憩所みたいに使われていてそれだけ地域の付き合いが深い時代があった。観音様の導きでもあった。それだけ観音様の力は凄いと感じる。

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しかし、子供が減ったり新しい人たちがやってきたり高速道路で昔の人たちが引っ越したりと時間が経過し盛大な夏祭りとかはなくなっている。信仰心の厚い人たちは高齢化しているし。かろうじて子供の神輿はまだやっているのが幸いだ。

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この馬頭観音がある限りそして祭る限り規模は小さくなっても地域の結びつきや観音様の信仰はいつまでも続くだろうと思う。
12年後は私も御開帳に参加しよう。

この仏様たちも昔から祭られてあった。

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不動明王も子供のときに見て、当時はなんだかわからなかったから友達と怖い木造が置いてあると笑いながら騒いだりしてた。


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写真写りもよかったが、凄く尊く感じる。今は廃寺になった東明庵の雲谷禅師の時代から祭られてあった仏像もあるかも知れない。
歴史のある吉水地区である。
私の先祖は爺さんの父親の代に田沼からここの吉水に引っ越してきたから昔からの吉水の住人ではないけど、昔からある集落だというのを感じることができる。


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観光客というか遠くからの参拝客は未だ来なかった。新聞にも載ったが、やはり観音様信仰は今は流行ってなく小さな集落のささやかな信仰となっている。他の佐野坂東の御開帳も何件かある話を聞いたが、私でさえも用事などもあり行くことができないでいる。
具体的な情報もあいまいである。あればすぐ行くのだが。

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子供のときからある公民館。子ども会でよく中に入った。

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佐野坂東巡りの触れ頭の石碑。佐野坂東巡りはこの東明庵の雲谷禅師が始めた。

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巡礼供養塔も見える。

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看板が佐野市の指定有形文化財になって新しくなっていた。私が最初に佐野坂東巡りをしたときはまだ田沼町だったが、もう合併してからだいぶ時間がたち、佐野市民に慣れて来ている。

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供養塔をしばらく見ながらまた再度佐野坂東巡りをしてみようという気持ちになった。田沼神社仏閣巡り隊に人が集まれば少し規模を大きくしてやってみたいので、このブログを見ている人で入りたいと思うかたがいたら入会してください

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御朱色みたいたお札。何枚か余計にもらってしまった。

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佐野坂東33箇所の図。

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12年ぶりの東明庵の御開帳が、先月の19日と20日にあった(^.^) 野糞の家からすぐ近くの観音堂だ(^.^) 田沼町を忘れないのほうには 真面目に書いておいたよ (^.^) 野糞が佐野坂東巡りを始めたきっかけの場所でもあるね(^.^) 佐野坂東のページ 垂れ幕立派だね(^.^) 山門もいつもよりは派手...

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