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吉水城碑(吉水第一公園・御泉水跡)

2011年04月24日
しばらく旧田沼町のいろいろな記念碑などを回ろうと思い、吉水第一公園に行ってきた。

ここには「佐野城碑」がある。

佐野市役所のホームページのふるさと自慢にも取り上げられている。


吉水城というのが以前新吉水地域にはあり、ここで湧く水を使い用水に使っていたという。

吉水の地名の由来「四清水」の一つであった。

四清水は小見天満宮の近くの元権現沼とここだというのが分かり、少しうれしくなった。

私も子供の頃にしこたまこの公園に行ったが、この石碑記憶はなかった。

今もたくさんの子供がここに遊びに来ていて、この石碑の謂れを知っている親はあまりいなくなってしまっているのだろう。

ここに以前清水が湧いていた面影もなくなっている。

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まだ字が読めるが、かけているところもあり、だんだんとこの石碑の謂れも分からなくなって行くような気がする。子供たちもこの石に登ったり、けりを入れて遊ぶだろう。


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作った人たちは芸術的に作ったのだろう。趣のある石碑だった。


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まだ文字が理科系の私でも判読出来るので少し安心した。

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画像が加工で悪くなってしまったが、今回はさのふるさと探検隊の人たちと同じように、長さを測ったり、様子を調べてみた。

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風化してしまっている個所はこのようになってしまっている。最初の文章が読めない。そして下の部分も読めなくなっている。

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田沼町史に碑文が載せてあったのでよかった。記載しておこう。


吉水城碑

延長年間藤原秀郷唐沢山に拠るや一支城を四清水に築き清水館と云う。

慶長一八年その裔信吉改易せられ清水館も亦亡ぶ。

元和二年本多上野介正純封を佐野領四十一箇所村四万石を受くるに及び、故墟を再興して之に居り名を吉水城と改む。

元和五年正純宇都宮に封ぜられ、翌年此の地天領に属してより城再び廃す。爾来風雨三百年殆ど其の緃跡を没す。

今の新吉水は本多氏の遺臣留りて住する処にして、当時二拾五人町と称す。

奥沢氏は実にその族なり。今此の古蹟埋滅せん事を憂え石に勒して後世に伝う。温故知新も人心適従する処を教うる絶好の指南車なり。

 零砕なる史蹟も活史眼を開けば即ち無価の珍と化す。遺蹟に曹山の死猫児頭たるの日無からんや。

 大正三年四月一日

文学博士高田儀光撰文

 

橋本吉郎書  長谷川紹光刻字  


自分になりに訳してみた。
「延長年間(923~931年)、藤原秀郷が唐澤山に居城しているころ、支城を1つ四清水に築きこれを清水館と呼ばれた。
慶長18年(1613年)秀郷の末裔である信吉は改易させられてしまい、清水館も滅んでしまった。
元和2年(1616年)、本多正純が佐野領41箇所4万石を拝領され、清水館を再興し、吉水城と名付けた。
元和5年(1619年)、本多正純は宇都宮に封ぜられて、翌年この吉水の地は天領になってしまい、再び廃城となってしまった。
それから300年経ち、もうその面影さえなくなってしまっている。
現在の新吉水は本多氏の家来たちがここに留まり、住みついた。当時二拾五人町と称していた。
奥沢氏は実にその本多氏の家来衆の子孫である。
今この城跡の御泉水跡地が埋められてなくなってしまうのを憂えて石碑を作り後世に伝えることにした。
温故知新の気持ちは人々の心にもどって行くものだと教えるのに絶好の手引きになると思う。
些細な史跡でも歴史を洞察する力を身につければ、非常に価値のある宝となるのである。この世にある史跡に禅宗の本に書いてある「曹山の死猫児頭たる」の話のようなことはないのである。」


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裏には奥沢氏が詠んだかも知れない歌らしきものが書いてあったが、判読できなかった。田沼町史にも載ってなかった。




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このように歌のような文章だった。

石碑から奥沢氏は本多正純の家来の子孫であることがわかった。

ついでに「曹山の死猫児頭」の話は、曹洞宗の開祖曹山が、この世界の中で一番素晴らしいものは何だと聞かれたときに、転がって死んでいる猫の頭の骨だと答え、その理由は価値や値段が付けられないからという話をしたという「会元」という本からの話である。



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この碑の文章を書いた文学博士高田儀光氏は田沼の本光寺のご住職で、当時本を書いたり禅の教えを説法していて有名な人だったというのが分かった。

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四清水の一つである御泉水のあった場所で太郎ものんびり私の調査を見守ってくれていた。
石碑には清水の用水があったことは書いてなかったが、この新吉水の人々によって今でもこの石碑とともに吉水城のことは語り継がれている。新しい家がたくさんある地域でその謂れに興味を抱かない人が多いかもしれないが、それでも昔から住んでいる新吉水の人にずっと受け継がれていくのだろう。


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参考史料、町会のお宝自慢調査票

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