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初詣2011年唐澤山神社

2011年01月01日
2011年の初詣の記事を書くのも遅くはなってしまったが、このブログは日付を変えて投稿することができるので、よかったなとも思う。

今年の初詣は、田沼の神社に行けるだけ行ってみたが、10社くらいしかまわれなくて、少し残念だったと思う。

唐沢山には毎年行っている。

カテゴリーをいろいろ分けて見やすくしていきたい。


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正月に田沼の風景が見れて本当に良いものだ。

地元に帰ってきてから唐沢山にはかかさず行っている。


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地元の高校生か大学生かは分からないが巫女さんもこの日はたくさんいるので良い。
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この正月は唐沢山にはたくさんの人が来る。
田沼から離れた人も帰省をしてやってくる。そんな雰囲気を感じることができて素晴らしい。

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父も母もこの階段を登るのが、しんどくなってきているようだったので、時間の経過を何気に感じてくる。
父や母は自分よりも長く、この唐沢山の初詣をしている。多分50年くらいはしているだろう。

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それなので、ここに来ている年を取られた人たちの中には、60年、70年以上も唐沢山の初詣に来ている人がたくさんいるだろう。信仰というのはそのようなものだと参拝しながらしみじみしてくるのである。

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皆それぞれ、お願い事は違うかもしれない。私はお願い事はせずに無言で何も考えず頭を下げた。ここ数年大きな変化もなくほのぼの暮らしていれるだけで感謝しなくてはいけない。

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新年のお払いはまだ唐澤山ではやったことはない。

何ゆえか毎年寺岡薬師でお払いしてもらっている。

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毎年ここの看板を見るのも習慣になってきている。

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いろんな人がいろんな願い事を書いている。

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信仰はパターン認識論だと、営業マン時代にとある数学者に会ったときに話を聞いたことを思い出した。確かにそうかもしれない。毎年初詣に行くと、今年も行かないと気持ち悪いなという気持ちにもなる。お守り買ったり、お札を買うのもそうかもしれない。

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しかし、それだけでなく毎年初詣に行くことは、何か別の力が作用しているかのような気持ちにもなってくる。山に登るのと同じような気持ちだったり、悪い例えになるが、走り屋さんが赤城や榛名に暴走しに行くときのような気持ち。
遊び人の人たちがキャバクラや風俗に習慣化していく気持ち。パターン認識だけでない、一種の魅力。それはアメニズムな感覚だけでない。先祖は何だったのかを追及していく気持ちや自分は何のために生きているのか問いかけるような気持ちにも通じてきそうな気がしてくる。

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今年も私は大吉だった。毎年大吉なんで、疑う気持ちも抱いている。

ついでに愛犬太郎も毎年初詣に行き、もう7回目に達する。
来年も一緒に行きたい。

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とにかく、こうやってたくさんの人が初詣に来ていて、本当に素晴らしいなと思うのである。神社儲かって良いねという言葉を出してしまいがちだけど。

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神楽は今年はタイミング悪く見れなかった。

去年は見れた記憶がある。
ヤフーブログの去年の記事

その2




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昨年は少しは記事が書けたので、今年は去年の倍くらいは記事を書いて行こう。
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