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新吉水(小見)土地改良竣工記念碑

2009年06月25日

佐野の街から旧田沼に戻る途中に、土地改良記念碑がある。

昼間車で通ると何気に見ることができる。

この周辺は子供の時によく自転車で通ったが、記念碑には何ら興味などは抱かなかった。

この地域は吉水新田地域とともに、水田地帯が広がっている。

 

 

しんでん

 

記念碑は、調度田んぼの外れの産業道路から近いところにある。

そもそも吉水、小見地域は、 昔は養蚕が盛んで、水田には向いてないところでもあった。

 

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 土地改良をして、現在のようにたくさん水田が作られるようになったのがこの記念碑を見れば推測できるのである。

 

 

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 ついでに当時の町長は蓼沼荘治氏だった。それから高沢氏、小玉氏と続き、田沼町は消滅した。

 

 

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 水田地帯にびっしりと聳え立つ記念碑は堂々としている。

 

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 おそらくポンプなどで水を引き、綺麗な地下水を利用し、水田があるのだと思う。小学校のときに田沼の勉強をさせられて、昔は水田を作るのが難しかったけど、栃本の疎水や、ポンプの発達により、田沼でもたくさん稲作が盛んになった話を聞いたことがあると教わった。

 

 

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 私が子供のときから水田はたくさんまわりにあり、以前は養蚕が盛んだったという面影すらなくなっている。

このブログをしながら、神社(天満宮)などを調べて、この周辺の地域は養蚕が盛んだと分かったくらいだ。

水田により、田沼も住みやすい地域になったのがよくわかる。

 夕焼けの記念碑は美しい。

 

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周りの水田地帯も素晴らしい。写真を撮るのには良い季節になっている。

たくさんの米が取れるんだなと爽快な気持ちで眺めた。

 

 

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昔のこの地域はどんな感じだったのだろうか?おそらくたくさんの林や畑がたくさんあって、人の気配もあまりなく寂しい場所だったかもしれない。

堀米からこの新吉水、吉水は実際昔から「佐野」の庄と呼ばれていた。

実際の佐野中心部は昔は佐野という地名ではなかった。

 

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 綺麗な地下水が流れこんでいる。

ここは秋から冬になると、大きなざりがにがたくさん捕れる場所でもあった。

 

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 小学校のときに良く取りに行った。ざりがに穴場だった。

高架の下には小さな川があり、そこはたくさんざりがにがいる。今だにたくさんいるか今度行ってみよう。

 

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田沼に戻り、6年過ぎた。田沼の夏も良いものだと何となく感じてきている。

 

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 ときおり、長野や福岡に住んでいるときの街の風景を思いだしながら、田沼の風景を見ている。

比較をするわけではないが、たとえば私がどこかの町出身の営業マンで、田沼を担当で営業に来たらこの田沼の風景を見てどう思うのだろうか?良い町だと思うかどうかは町の風景だけでは判断できない。

このブログのこれからの課題でもあるなと思いながらのどかな水田風景をしばらく見続けた。

 


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