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飛駒小跡地(水没)-もうひとつの田沼

2008年08月14日
桐生市梅田の入飛駒地区(皆沢地区辺り)は以前は田沼の一部だった。

1968年(昭和43年)4月1日 桐生市が田沼町飛駒の一部(入飛駒)を編入する。入飛駒は梅田地区の所属となった。

昭和43年まで入飛駒小学校があった。

ここに水没している学校は入飛駒小学校かどうかはまだ確認できてない。

仕事場の近くなので確認する気になればすぐ確認できるが、せっせと働いているので、調べる時間がなかった。

最近ブログの更新をしていないので、記事にした。







梅田湖は昭和58年に出来た。

私が小学校5年くらいのときだった。それまで、ここに学校があったらしいが、今はダムの底に沈んでしまった。


PICT0796.jpg

梅田北小学校跡地に行ったときに、この小学校に通っていた人に会うことができたが、あまり詳しく聞くことができなかった、というか、梅田のことなので、あまり興味がなかったのである。

しかし、梅田の1部が元飛駒、田沼の一部だというのに後から気づき、調べながらネットを見ているが、詳しい資料はない。図書館に行けば分かるかも知れない。

http://www.umedaminami-e.ed.jp/syoukai/enkaku/enkaku.htm



PICT0799.jpg



25年くらいダムが出来て経っているが、もうダムは梅田の自然と調和してしまっている。


PICT0800.jpg

すぐ歩くと「大洲の水」が沸いている。

地元ではうまい湧き水で有名である。

私も別のブログで記事にした。

PICT0801.jpg


この辺りの水は本当にうまいし、桐生川の水も綺麗である。


PICT0803.jpg


この木々の下には、まあまあ大きな滝がある。死者も出ているので危険でもある。

ダムが出来る前からあった滝だと思う。


PICT0804.jpg

地形的にこの地域は、田沼ではなく群馬に属してたほうがやはりよかったのかもしれない。

昔の人々の生活は桐生や梅田に依存していたと感じる。

PICT0810.jpg

老越路峠を越えないと、飛駒の中心部には行くことができないからだ。今なら車で10分くらいでいけるかも知れないが、昔だったらかなりの労力が必要だったのだろう。

しかし、このような歴史も忘れられてしまうのだろう。
おそらく同年代の田沼中心部に住む人々は、梅田の一部が田沼の1部だったと知っている人はあまりいないはずだ。

忘れないうちに記事に出来てよかった。
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Comment
ありがとう
探索の結果を楽しみにしています。
何か疑問なことがあったらコメントください。
私に分かることは連絡します。
saseさんへ
コメントどうもありがとうございました(^.^)

飛駒地域は、住んでいる地域から遠いので、今度詳しく探索しようと思ってます。

梅田と飛駒について詳しい情報ありがとうございました。

飛駒にもたくさんの忘れられた歴史がたくさんあるのに気づきました。

最近は探索はしてませんが、近日中は必ず記事をたくさん書きたいと思ってます。
追伸
「老越路峠を越えないと、飛駒の中心部には行くことができないからだ。今なら車で10分くらいでいけるかも知れないが、昔だったらかなりの労力が必要だったのだろう。」との記事がありましたが、そのとおりで地元のおじいさんなどの話しだと、親戚の人が亡くなると、入飛駒から歩いて飛駒まで一日係りで連絡にいったそうです。
 飛駒から入飛駒へ嫁いだり、入飛駒から飛駒へ嫁いだりと、昔はずいぶん行き来があったようです。私の近所にも飛駒から嫁いだ人がまだ2,3人います。
 まだまだ、書きたいことがありますがこの辺で失礼します。
入飛駒小学校の卒業生
ブログを見させてもらいました。
私は中学校2年生まで入飛駒の中学校でした。
桐生市への合併で中学校3年生の1年間は梅田中へ通いました。
入飛駒の中学校ではテニス部で田沼町へ試合に行きました。今でも地元に住んでいますが、田沼町の地名が懐かしく毎週のように田沼、佐野方面に遊びに出かけています。
特に「作原」などは中学校1年のとき1年間担任だった先生が赴任した先で大変懐かしいです。
最近は、写真展を「たぬまふるさと館」に見に行きました。
飛駒小学校跡地というのがわかった。
今日、山登りの帰りに確認したところ、水没したのは、旧飛駒小学校というのが分かりました。

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