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岩倉大権現

2006年02月03日
えんのため公園の中に「岩倉大権現」が祭ってある。

以前田沼町史で足利家綱の話が書いてあり、えんのための山奥びあるのではないかと思っていたが、ここにあったのでうれしかった。

足利家綱は佐野の「朝日森天満宮」を建てたのでも有名である。



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朝日森天満宮ほど立派ではなく説明書きがなければ、何を祭っているか分からない感じだった。

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田沼町史から引用すると、「藤原秀郷8代の孫、足利家綱は、身長が2,5メートル以上もある巨人で怪力の持ち主だった。あるとき讒言により、九州の大宰府に流された。天満宮を熱心に信仰し、満願の日にお告げを聞き、許されて京都へ上った。
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京都へ着いた家綱は、勅命によって朝鮮の力士3人を相手に相撲をとり、怪力ぶりを発揮して、見事な勝ちを収めた。天皇から恩賞に預かった家綱は、故郷足利の城に帰り、厩を建てて天満宮を建てた。家督を譲ってから、現在の総合運動場のあたりに館を建てて移り住み、静かな余生を送ったと言われる。この時に、天満宮も唐沢山西麓に移した。

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慶長年間、唐沢移城の際に、佐野に移した。これが朝日森天満宮だと言われている。
家綱は1131年に亡くなり、遺言によって山越の加茂別雷神社の傍らの岩窟に葬り「岩倉大権現」として祭られた。
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山越に住む大沢家の祖は家綱の家臣で祠を守護するために山越に住み、山越の開発に努めた。
この岩窟は砕石によって破壊されて、痕跡すらとどめていないが、溜池の西の山麓に「岩倉宮家綱公墓」「足利権頭家綱霊社 明治一九年再建 大沢一家」の二つの石宮と加茂別雷神社の参道にあった地蔵、石宮と一緒に祭られている。」そういう謂れがある。

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今でもこのように熱心に祭られているのである。800年以上の歴史を感じることができる。


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この地蔵のことは書いていないが、岩倉大権現様とともに人々の救済を願っているのだろう。


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朝日森天満宮よりも立派ではないが、家綱の魂の大きさはここのほうが断然感じることができるはずだ。忘れてしまう歴史を寸前のところでとどめていて、おそらくこれから何百年経ってもこの岩倉大権現は忘れさられることはないと感じたのである。

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裏山につづく寂しい道があった。本来はもっと山の奥にこの祠があったかもしれない。子供のときには気づかなかったから。

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岩倉大権現は今でも山越の人々の繁栄を見守っている。しかしそれよりもこの石宮を先祖代々守った大沢一家の人々の信仰心の厚さに感動した。そしてこの山越の地域開発にかなり貢献していた一族だったので、家綱公もとより家臣の大沢家の魂を感じて深く感動してえんのためを後にした。




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