中江川を歩く2、供養地蔵発見
2005年09月10日
仲江川を奥まで歩いて行くと、お稲荷様があった。
このあたりにはかなりの旧家があったそうだ。
たくさんの番頭や下女を使っていたそうだ。
昔このあたりには慶安寺があった。今の榊神社の隣にあるお寺だと思う。
そこの若い層が、その旧家の下女と恋に落ちた。夜毎に通って情を通じていた。多分青かんだろう。
そして下女は僧の子を身籠ってしまう。
このあたりにはかなりの旧家があったそうだ。
たくさんの番頭や下女を使っていたそうだ。
昔このあたりには慶安寺があった。今の榊神社の隣にあるお寺だと思う。
そこの若い層が、その旧家の下女と恋に落ちた。夜毎に通って情を通じていた。多分青かんだろう。
そして下女は僧の子を身籠ってしまう。
中江川公民館があった。
話を続けよう。ある夜に夜回りに来ていた番頭が、不審者に気づき、その僧を切り殺してしまった。泥棒が出てもおかしくはな時世だから、切り殺されるのもあたり前の時代だったのだろう。
下女はやがて旧家の井戸で子どもを産んだがそれからどうなったのかわからなくなってしまったそうだ。
昔はこの地域に大きな旧家があったという面影はなく、こんな感じの田園風景しか見られない。
それから、中江川の子どもたちがいろいろ病気にかかった。
原因が分からない。難病にかかった子どもの母親が思い余って占ってみると、例の僧の霊が出た。
昔だったので、かなりこの地域の人はびびったのだろう。
すぐに、僧形の石塔を作って供養をした。
それから子どもたちの病気が大部分なおったのである。
それから現在に至るまで、旧の二月二日には、団子、菓子、線香を備えて供養している。
その石塔は念仏供養のお地蔵さんと並んで立っている。
そして私もその石塔を見つけることができた。
左のがそうだろう。
田沼町史に書いてあるとおり。側面に二月二日仲江川中と刻んである。
下女と恋に落ちた僧の供養塔を発見できた。
とりあえず手を合わせて般若心経を唱えて立ち去った。
僧の行った夜這いは今では健全なことだと思うが当時はかなりの非道徳とされたのだろう。今よりも情欲を抑えなくてはいけない時代だったから、この地域で下女と情を交わしていたことはかなり情熱的でこの田園地帯で燃えるような情交だと思う。僧はおそらく家が貧しく僧の世界に入りそして戒律をやぶり、下女はおそらく余所の地域から家が貧しく奉公に来ていたから、借金が消えるまでは自由にならなかったのかもしれない。
それだからなおさら激しさが増したのだと思う。貧しい身分同士で気持ちと境遇が一緒だったかもしれない。だから早く二人で自由になろうとお互い話し合っていたかもしれない。単なる情欲だけではなかったと信じる。それだから、回りの人々も2人の無念な思いを感じ取り、それが僧のたたりという形になって現れたのだと感じた。
今でも供養を絶やさない。それだけ僧と下女の熱き思いが現在でも感じることが出来た。
このように身近な場所でも、忘れられそうな歴史がたくさんあるはずに違いない。これからそういうのを探しながら更新していこう。
話を続けよう。ある夜に夜回りに来ていた番頭が、不審者に気づき、その僧を切り殺してしまった。泥棒が出てもおかしくはな時世だから、切り殺されるのもあたり前の時代だったのだろう。
下女はやがて旧家の井戸で子どもを産んだがそれからどうなったのかわからなくなってしまったそうだ。
昔はこの地域に大きな旧家があったという面影はなく、こんな感じの田園風景しか見られない。
それから、中江川の子どもたちがいろいろ病気にかかった。
原因が分からない。難病にかかった子どもの母親が思い余って占ってみると、例の僧の霊が出た。
昔だったので、かなりこの地域の人はびびったのだろう。
すぐに、僧形の石塔を作って供養をした。
それから子どもたちの病気が大部分なおったのである。
それから現在に至るまで、旧の二月二日には、団子、菓子、線香を備えて供養している。
その石塔は念仏供養のお地蔵さんと並んで立っている。
そして私もその石塔を見つけることができた。
左のがそうだろう。
田沼町史に書いてあるとおり。側面に二月二日仲江川中と刻んである。
下女と恋に落ちた僧の供養塔を発見できた。
とりあえず手を合わせて般若心経を唱えて立ち去った。
僧の行った夜這いは今では健全なことだと思うが当時はかなりの非道徳とされたのだろう。今よりも情欲を抑えなくてはいけない時代だったから、この地域で下女と情を交わしていたことはかなり情熱的でこの田園地帯で燃えるような情交だと思う。僧はおそらく家が貧しく僧の世界に入りそして戒律をやぶり、下女はおそらく余所の地域から家が貧しく奉公に来ていたから、借金が消えるまでは自由にならなかったのかもしれない。
それだからなおさら激しさが増したのだと思う。貧しい身分同士で気持ちと境遇が一緒だったかもしれない。だから早く二人で自由になろうとお互い話し合っていたかもしれない。単なる情欲だけではなかったと信じる。それだから、回りの人々も2人の無念な思いを感じ取り、それが僧のたたりという形になって現れたのだと感じた。
今でも供養を絶やさない。それだけ僧と下女の熱き思いが現在でも感じることが出来た。
このように身近な場所でも、忘れられそうな歴史がたくさんあるはずに違いない。これからそういうのを探しながら更新していこう。
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