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報恩寺巡り(佐野房綱の墓)

2005年06月26日
報恩寺は飛駒川沿いの大きな工場を超えたあたりにあった。見つけるのがまあまあ大変だった。
有形文化財の佐野房綱の墓がある。
されど、お寺は新しくて歴史は感じなかった。
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藤森神社があった。その入り口に石造があったのだが、かなり歴史のある石造だと思ったので写真に撮った。
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藤森神社も新しかった。藤森神社は,摂政3年(203),神功皇后が新羅出兵から凱旋してその兵器と旗をこの地に納め,神を祀ったのが起源とされている。京都に本部がある。学生の頃はその近くの工事現場でアルバイトをしていた。
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がけの地層がはっきりわかって、その前に祠があるのでなかなかいい味がでている。理科の勉強にもなる。
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メインの佐野房綱の墓があった。
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大和守氏の指摘通り、佐野氏は佐野市の名前になっているので佐野の方で活躍したと思いきや、実際は旧田沼町の方がゆかりのある武士である。と言っても合併してしまい田沼も佐野市になったのでいまさら何にも言えないけど、佐野氏の墓は旧田沼町の方に多いと氏も言っている。
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領主であるから立派な墓だ。

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墓拡大!
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横に誰かの墓もあった。奥方かここの御住職の墓かどうかはわからない。
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庚申塚もやっぱりあった。
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昔の石造がたくさん積んであった。どこのお寺でもそうだが、どんなものかわからなくなったのでむやみに処分もできないのと、やっぱり何かの根拠があって石仏や記念碑があるわけだから、残してあるのだろう。私が死んでも残っていると信じる。
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お寺のお堂を記念に撮った。
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新しかったが見事だった。
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Comment
どうもはじめまして
どうもはじめまして
先日、田沼の町を散策しに行きました
その際このHPを拝見する機会があり参考にさせてもらいました

神社仏閣が非常に充実しており見るだけで楽しいですね
郷土の誇りがひしひしと伝わってきます
田沼はすばらしい町ですね。どうもありがとうございました
コメントありがとうございました。とてもよく勉強になりました。
確かに墓石は形がいいから、柱石になりそうです。
佐野房綱の墓について
拡大したお墓の隣(右側)に小さく映っているのが、当初立てた墓石らしいです。

>横に誰かの墓もあった。奥方かここの御住職の墓かどうかはわからない

これは奥方でも住職の墓でもなく、旧制学校の「教導」を務めた方の記念碑です。「筆子塚」みたいなものでしょうかね。

ちなみに、住職・僧侶の方のお墓は「卵塔婆」という特殊なものです。
細長くて丸い形をしています。千手院の無縁塚にあったような気が。

>昔の石造がたくさん積んであった。どこのお寺でもそうだが、どんなものかわからなくなったのでむやみに処分もできないのと(以下略)

禅宗では「発遣(ほっけん・御霊抜きのこと)供養」をすれば、ただの石です。
石材が貴重だった中世~近世は、墓石を住居の柱を支える石に「転用」してたこともあるんですよ。

管理する人のいなくなった古い墓石は、お寺さんを悩ますもののひとつ。
最終的には風化させるか、埋めるかして処分するしかありません。今じゃ転用もできないというか、使う用途がない。よって、ああするしかないんです。
(庶民が墓石を立てるようになったのは、せいぜい江戸後期~明治くらいからです。)

連投すみませんでした。

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先日久しぶりに城を見に行った。下野にある名城・唐沢山城顛末はconanmania氏のblogに載っているので是非御覧下さい城跡というのがまた風情があってよい。何もない、というものがある豊かな沈黙の世界また秋の北関東といえばやはり紅葉。駒場の銀杏並木も今が見頃ですそれに

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