<続き>
休憩してから歩いた。私が歩くのに困難な箇所が何箇所かあった。
このようながけや山道を歩いていると、死んだ友人のことをいつも思い出す。
転落して亡くなった亡骸を思いだしてしまうのである。
自分は転落したくはないと思ってしまうのである。
【“久しぶりに根本山へ登る3(奥の院まで)”の続きを読む】
太郎は、落ちているから揚げやおかしを食いまくっていた。
ソフトバンクの犬に似ていると言われまくっていた。
太郎は初めて初午に参加する。
昨年は、夜に行ったが店は開いていなかったので、本格的な初午は初めてだろう。
【“2008年初午太郎が見た初午”の続きを読む】
須花ネタはしばらく辞めておこう。そもそもこのページは心霊のスポットを探すブログではなく、田沼町を忘れないためのブログであるからだ。
田沼町の認知度はかなりなかった。
田沼という地名も、経験では静岡県の藤枝市にあるだけでよくある地名のような気がするがそれほどでもない。
ところで、吉水はどうして吉水かというと地元では有名だが、昔4つ清水が沸いているところがあったからである。うまい水で有名だった。
私が子供の頃は、権現沼というところがあって、そこが4箇所の清水の場所の1つだったのだが、子供の時でもたいして綺麗な沼というか川でもなかった。ざりがにだらけで、下の泥は少しヘドロもたまっていたくらいだ。
昔そこで生まれて初めて自転車を盗まれた経験もありそれで記憶もあった。
清水が沸いていた4箇所を調べて現地に行ってみたい。恐らく必ず神社があるからわかるかと思う。
やっぱり昔の人は水が沸いているところなどを特別扱いしていたから、佐野で言えば人丸神社や出流原弁天みたいな感じで。
田沼寺社巡り探検隊をやっぱり作って行動してみたい。

ほぼ毎日のように田沼から離れて仕事などをしているので、田沼で起こったニュースや出来事を全然把握してないのに気づきました。言われてみれば、近くにできたばんどう太郎にも食いに行ってない。
ここいちのカレーも佐野や館林などで食べてるケースが多いし、ましてや佐野ラーメンも最近食べてない。
東京などに住んでいる人なども、自宅やマンションの近くの食い物屋さんや、雑貨屋さんなんかにはいかないのでしょう。
田沼町は人口が少ない(といっても私が中学生の頃は3万人いたので町では多いほうだ)ので、中学校は2つしかない。田沼西中と田沼東中だ。私は東中に行っていた。今は中学生の同級生は皆どうしているのか把握できない。昔ながらの友人とかとは交流があるのだが、正直ほとんどの人が町を出ているのだろう。
私も高校を卒業してから町を離れて暮らした。やっぱり魅力のない町だったかもしれない。
しかし、町を離れて暮らしている人々は皆田沼魂というのをもっているとは信じている。
私は田沼町で生まれ育った。19歳の時に東京に出て、東京・京都・京都・長野・静岡・福岡と転々と暮らしたが、30歳の時に田沼町に帰ってきた。19歳の時に比べ人口が100人くらい減っていた。そしてあまり変化がなかった。佐野市と葛生町と合併するという話を聞いてもぱっとしなかった。